ぶどうの木が海馬に似ている


ゆんぐりとバスの前席にて眺めているぶどう畑を、冬の、枯れた規則正しさに合わせている。もんぐりとおもたい雲にひとりずっしりと座り込む女の子がある、わたし。割れ目に両足をちらつかせている雲の、隙間。音のないブランコがしゃらんと垂れてわたしがのる、巨人。
1月の強烈な風が吹く、マイナス気温のフランス、360ド広がるうごかないぶどう畑は街から離れて村を目指すわたしを無口にみている。ところどころある小さな池といかつい木が記憶を繋ぎ止める釘、標本のような。

(しんしんとおりてくる薄紫のヴェールは空を彩る、わたし、およめさんの練習中で)

膝小僧が汚れているとそして気づく、わたしの足、幼い頃にアリを潰して歩く、途中で転んだから、証拠に靴裏、黒い点がいくつもあるでしょ、とバスの中からわたしが言う。地面をみすぎて壁に気付かなかった、コンクリートがむき出しの足を傷つけて帰宅した、翌日わたしはむしをころせなくなりました。

ひしゃげたぶどうの木の枝は、まるで海馬のうごきみたいで、シナプス信号を、繰り返している、わたし、

(およめさんの練習中で)

もんぐりとした雲上で一心にブランコをひくわたしは、大きな発電所なのです。そのエネルギーによってぶどうの木たちがぶるぶると震え始める、発熱、ゆんぐりとバスにいるわたしに届くかれらの信号は冬の悪寒をわしづかみにつかんで捨てている、チラチラと目にうつるわたしが、わたしとそして視線を合わせればふきとんでしまった今が、はなれてわたしは幼稚園の教室隅っこで、おままごとをしている、わたし、およめさんの練習中で、包丁をもって大根を切る、でもうまく切れない、わたし、切りたいものがうまく切れないから、ぶどう畑の池のほとりで、ゆっくりと目を閉じて、荷物をバスに置いていきたい。







第四回三文賞 特別賞
小林青ヰ「ぶどうの木が海馬に似ている」

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