帳面
入沢老が亡くなられた。Twitterで知る。
- 2018-12-01 Ishikawa Fumio. -
第11回三文賞の審査が終わりました。入選作は以下の通りです。
以上。
- 2018-10-28 Ishikawa Fumio. -
第11回三文賞の募集開始。つっちーに絵を提供してもらい、表紙に掲載した。スマホの使い方がラブ。
Tsuchiya Saki
- 2018-08-04 Ishikawa Fumio. -
第十回三文賞の審査が終わりました。入選作は以下の通りです。
以上。
- 2017-08-06 Ishikawa Fumio. -
第十回三文賞の募集開始。なめぴのちゃんに絵を提供してもらい、表紙に掲載した。胸が苦しい。
Namepino
- 2017-05-22 Ishikawa Fumio. -
第九回三文賞の審査が終わりました。入選作は以下の通りです。
以上。
- 2017-01-31 Ishikawa Fumio. -
第九回三文賞の募集開始。凸ノ先生に画を提供してもらい、表紙に掲載した。メイドが洗濯してくれるらしい。
Totsuno Takahide
- 2016-11-12 Ishikawa Fumio. -
第八回三文賞の審査が終わりました。入選作は以下の通りです。
以上。
- 2016-07-31 Ishikawa Fumio. -
第八回三文賞の募集開始。ナオミさんに写真を提供してもらい、表紙に掲載した。京都は船はしやの猫天。
Matsuo Naomi
- 2016-05-15 Ishikawa Fumio. -
第七回三文賞の審査が終わりました。以下、選評となります。
- 小林青ヰ aou
孤高は、輝かしき時代を賭した一回であるがゆえに、人間が本来持つ孤独を浮き彫りにする。ある者には敬いを、そしてまたある者には畏れを抱かせるそのポエジーは、しかし宮沢賢治などにも見られる日本文学の重要な一面である。その点において、本作は日本詩歌の正統な後継として、今まさにここで詠われたことを誇りに思う。
なお、佳作、審査員特別賞、i氏賞として、以下の三篇を選出しました。
以上。
- 2016-01-31 Ishikawa Fumio. -
名簿を作った。写真は僕らのアイドル、あおはるちゃん。
Aoharu
- 2015-08-10 Ishikawa Fumio. -
第六回三文賞の審査が終わりました。入選作は以下の通りです。
以上。
- 2015-07-31 Ishikawa Fumio. -
とこにゃん先生に絵を提供してもらい、表紙に掲載した。青春にある乖離がよく分かる。
Kotoha Toko
- 2015-06-28 Ishikawa Fumio. -
第五回三文賞の審査が終わりました。以下、選評となります。
- 入沢康夫 キラキラヒカル
現代詩の始まりと名高い本作「キラキラヒカル」は、入沢の処女詩集『倖せ それとも不倖せ』に収められている。そしてこの詩は、90年代に江國香織の小説『きらきらひかる』で再び浮上し、現在もネットのいたるところで散見される。このことについて、僕がここで何かを論じるつもりはないし、もはやその必要もないだろう。それは、しかるべき評価を受けた者らの仕事であって、これからの時代を担う若い詩人の役目だからだ。
- 2015-02-22 Ishikawa Fumio. -
第四回三文賞の審査が終わりました。以下、選評となります。
- 群昌美 しゃせい
言葉が崩れるほどの愛を知ったとき、その詩人の内在律は生まれると言っていい。散在する音と画と、そこはかとなく漂うソリッドな匂い。情報化され、断片化される表層に隠されるのは、現代文明への痛烈な批判であるより先に、まずはただそこに在ることへの憤りであって、静かなる慟哭なのだ。
- 凸森一平 [LeOVE LeTteR]
狂気なくして詩の核心に迫れるか。否、それはおそらく不可能だ。リズミカルな言葉運びで生み出される見事なバッファは、狂気の名に相応しいほどの緩衝となり、あらゆる偶然や矛盾を飲み込んでゆく。そしてついには無関係とゆう関係を純化するまでに至るこの到達を、僕は心から祝福したい。
なお、審査員特別賞として、以下の五篇を選出しました。
以上。
- 2015-01-31 Ishikawa Fumio. -
第三回三文賞の審査が終わりました。以下、選評となります。
- 笛地静恵 廃線のまくら木の歌
あらゆる越境が単なる逃避としてしか評されないのなら、僕は今すぐ死んでもいい。散文と韻文とゆう二つのねじれに挑んだ本作は、ねずみ花火のように一閃し、その境界にある困難をこれでもかと詠う。それは共栄や共存などと言った希望ではない。どこまでも伸びる廃線の、果てなき孤独な絶望である。
- 群昌美 ほうふく
不協和であり、不確実である言葉の乱れが、ゆらゆらと光を揺らす水面のように美しい。詩作がすでに実践であり、本人でさえ再現できないだろうたったの一回が、あの90年代を偲ばせる。溺れながらも必死に伸ばしたその腕で、何かを掴もうとする苦しい様は、けれどもたしかに今である。
- 堺俊明 空の首をもちかえる
空への宣戦布告として、ある共有された像との心持ちが見事に表れる。ところどころに差し込まれる脱臼や、センスに頼った修辞も魅力であって、そこに淀んだ大人の解釈を入れる余地はない。いつかその像をもっと正しく捉えるだろう予感と、接近の気概に満ちている。
- 木村美映 回向
静かなる情景に歌がある。厳しいまでに安定した行間と、一首一首のどこか湿った緊張が、かの地特有の空気を呼び覚ます。それはつまり、昭和の日本人が生み出した像の継承であり、優しい嘘の受容であり、平成の日本人が未だに捉われる幻想の、哀しき末路を辿る旅なのだ。
- 青田格 いうなずまきを呼べ
誤読や、その誘発によって解釈は伸びていく。本作には読み手に寄り添おうとする真摯さがあり、それをすんでのところで裏切る茶目っ気もある。ほんの千文字にも満たない小品が、小気味よい跳躍とともに百数十頁にも及ぶのは、そうゆう博徒にも似た姿勢あってのことだと思う。
- 凸森一平 To無lie
圧倒的な権力と体力と、それにまつわる空気を活写しながらも、そこに立ち向かう意志が全くない。けれどもだから、それらリズミカルなスライドは、臆病などと言った後ろ向きな言葉で説明されるべきでなく、逸脱として消費された末の表現であり、脱構築だ。
- 2014-07-31 Ishikawa Fumio. -
ねむこちゃんに絵を提供してもらい、表紙に掲載した。パルプだけど切なくて、いつまでも心に引っ掛かる。
nemuco
- 2014-02-02 Ishikawa Fumio. -
第二回三文賞の審査が終わりました。以下、選評となります。
- 青田格 雨つ虫
意味が不明であるとゆう意味、つまり意味の深層にある詩情に耽溺し、そこを丁寧に経るからこその、不浄。けれどもそれら美しき滞留が、形骸化した形式に収まることで、リフレインの巧妙が鮮烈に際立ってくる。あの「雨つ虫」へと収斂させられる人々の、残像なき残像は、可笑しみを伴いつつも、何とも哀しい。
- 笛地静恵 三門花伝
伝説たりえる物語の予感はいつも、郷愁に似た小さな心象である。卓越した言語感覚で紡ぎ出される「空門」を始め、「無相門」「無願門」と続く三つの門は、潜ることでやがては終わりを迎える始まりの、厳粛な象徴としてただそこにあり、そこに散りばめられた言の葉が、まるで供花のように鮮やかではないか。
- 群昌美 空気
音なきものにどうやって音を与えるか。本作はそのひとつの答えとして、あるいはまた、文学における失われた二十年のひとつの到達として、今、ここにある。音なきものはつまり、崩れる段になってやっと、その寂しい音色を響かせるのであって、そうゆう瓦解の調べは、耽美であるがゆえの不幸も奏でて止まない。
- 凸森一平 糸と歯
エロやグロを希薄化し、時代遅れのナンセンスで描かれるのは、やはりタナトスでしかない。本作の力量は、その死への欲求すら笑いに変える諧謔であり、不謹慎である。軽妙なリズムによって担保され、絶妙なタイミングに指示されるのは、行き場を失った諦念である。
- 2014-01-02 Ishikawa Fumio. -
小林さんに
五つの質問を投げかけてみた。酔っていたから、キャバクラトークになっていないか心配だったが、ロックな彼女に助けられ、詩論に少し触れられた。良かった。
- 2013-11-04 Ishikawa Fumio. -
第一回三文賞の審査が終わりました。以下、選評となります。
- 小林青ヰ メランコリア
日常にふと訪れる間隙、そこにあるこちらとあちらの境界を、ミキサーの描写などで見事に捉えた詩。題名と、台所で履いているピンヒールの呼応がメンヘラで、作中の「かなしみ」がとても難しい。ぼうっと料理をする女が、そういった複雑な哀しみとともに思い浮かんだ。
- 青田格 殆ど何も残らない
日本の詩におけるアナーキズムの流行は、結局のところ意味の虐殺で収束を迎えるわけだが、黎明期のネット詩でも歴史は繰り返された。それはさながら、胎児が人類の進化をなぞるかのように、ほんの少しの出来事だった。そう、意味の虐殺のあとには、「殆ど何も残らない」のだ。
- 2013-07-27 Ishikawa Fumio. -